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【ズームイン、隠れた名企業 vol.2】下請けから抜け出す
2026/10/31
連載2回目です。
この連載では毎回ひとつのテーマを立て、そのテーマに答えを出している会社を数社ずつご紹介しています。
誰もが知っているわけではない、けれど社会性と経済性を両立させている企業たちです。
今回のテーマは、「下請けから抜け出す」。
なぜ今、このテーマなのか
言われたものを、言われた数だけ、言われた値段でつくる。
日本の製造業の多くは、この構造の中で技術を磨いてきました。それ自体が悪いわけではありません。難しい注文に応え続けることで蓄積された技術は、本物です。
問題は、その技術に値段をつける権利が、自分たちの側にないことです。
竹箸メーカーのヤマチクは、OEMの構造をこう説明しています。受注量が先方の都合で決められ、値上げがしにくい。また、最終顧客との距離が遠いため、自分たちが伝えたい商品の良さを直接伝えられないもどかしさが強かった。
技術があっても、量も価格も伝え方も、自分では決められない。
原材料費もエネルギー価格も人件費も上がり続けるなかで、この構造は徐々に現場を削っていきます。値上げできなければ、どこかにしわ寄せがいく。多くの場合それは、つくっている人たちの賃金です。
今回取り上げる三社は、いずれもそこから抜け出しました。
ただし、そのアプローチはまったく違います。
ヤマチク 値段を決める側に回る
熊本県玉名郡南関町。福岡との県境にある人口9000人ほどの山あいの町で、ヤマチクは竹の箸だけをつくり続けてきました。竹の加工から形状成形、塗装、パッケージまで、純国産の竹箸を完全に一貫生産できる会社です。設立は1963年、従業員は30名。年間500万膳を製造しています。
この会社の課題は明確でした。
箸のOEMが主な収益源となっていたため、完全に下請け企業となり、利益がまったく出ない状態だったことです。
転機は、専務の山崎彰悟氏が家業に戻ってきたことでした。関西の大学を卒業後、大阪でシステムエンジニアとして働き、外の世界を経験してから戻った山崎氏が見たのは、社員が高度な技術を持っているにもかかわらず低賃金で働いている姿でした。
最初に手をつけたのは、ブランドではありません。
「ブランド構築以前に、生産管理すらもきちんとできていない状態で、手書きで受注書を作ることからはじめました」。
安い輸入材の箸やプラスチック箸が市場の9割以上を占めるなかで事業を続けるには生産体制が不可欠だと考え、1〜2年かけて社内を改善し、生産量が増えて残業が減る効果が出ました。
足場を固めたうえで、2019年度に自社ブランド「okaeri」を立ち上げます。直販事業を開始し、5年で自社ブランドの売上比率を全体の6割以上にまで引き上げました。
この判断が効いたのは、思いがけない場面でした。
「自社ブランドを確立していなければ、コロナ禍によって潰れていた」と山崎氏は振り返ります。インバウンド需要やお土産需要が失われてOEMの受注が大幅に減りましたが、自社ブランドが育っていたため、一時落ち込んだ売上は4か月後の2020年9月にはV字回復しました。さらに、自社ブランドの商品を見て新規にOEMの話が持ち込まれることもありました。
下請けをやめたのではありません。依存をやめたのです。
そして皮肉なことに、依存をやめたほうが、OEMの仕事も良い条件で入ってくるようになりました。
いま同社が掲げているのは、さらに踏み込んだ目標です。竹1本あたりの仕入れ価格を、あえて「引き上げる」こと。「サステナブルな素材というイメージがある竹だが、今の状況ではまず人間の営みが続かない」という危機感がその背景にあります。
「竹箸は使い勝手が悪いから使われなくなったのではなく、製造側の都合でなくなった。若い人や竹を切ってくる職人さんが働き続けられる、継続性のあるビジネスモデルにしていきたい」。
値決めの権利を取り戻すことが、川上の職人の生活にまで届いている。ここがこの会社の本質だと思います。
佐藤繊維 指名される素材をつくる
山形県寒河江市。佐藤繊維は紡績からニット製品の製造までを手がける会社です。現社長・佐藤正樹氏の曾祖父の代に、商社の下請けとして、羊を飼い、手紡ぎから糸の生産を始めたのが始まりでした。当時の山形の繊維産業は花形で、作れば売れる、工場をどう確保するかという時代だったといいます。
ところが佐藤氏が東京の服飾専門学校を出てアパレルメーカーを経て入社したころ、状況は一変していました。多くのアパレル企業が生産を海外に移し、国内の生産量は激減。同社も大打撃を受け、倒産も危ぶまれました。
業界全体の数字は、今も厳しいままです。日本のセーターの国産比率は0.5%。しかもその3分の2は輸入した糸を使っていると、日本ニット工業組合連合会の理事長でもある佐藤氏は語ります。
この状況で同社が選んだのは、自社ブランドを持つことと同時に、もう一段川上に賭けることでした。
他社がつくれない糸をつくる、という道です。
象徴的なのが、2009年のオバマ大統領就任式でした。ミシェル・オバマ氏が羽織っていたフランスの有名ブランドのニットカーディガンに、同社の糸が使われていたのです。そのモヘアは、通常1グラムを25メートル伸ばすのが限界とされていたものを、独自技術で52メートルまで伸ばしたものでした。
いまも同社の工場では、コンニャクの樹脂で固めた糸、細かくカットを入れた布を縫ってつくった糸、和紙をこよりにした糸など、色も形も素材も違うオリジナルの糸が編み機に吸い込まれていきます。「糸の見本市みたいでしょう」と佐藤氏は言います。
結果として同社は、ウールを中心とした天然繊維の調達、紡績、ニット製品の製造、アパレル事業、取引先のOEM製造までを一貫して山形県内で手がける会社になりました。自社ブランド「M.&KYOKO」を全国の百貨店に展開する一方、売上の約1割を海外から得ており、その欧州向け輸出の約8割は、製品ではなく糸です。
ここが面白いところです。
下請けから降りるというと、最終製品を自分でつくって消費者に直接売る姿を思い浮かべがちですが、同社は川上に残りながら立場を変えました。指名されるだけの独自性を持てば、素材メーカーのままでも値決めはできる。
その姿勢は、同業の扱いにも表れています。2023年には、独自のトーションレース技術を持ちながら倒産した大阪の旧カツミ産業から全従業員と技術を継承し、新会社クマムレースを設立しました。「人材、機械を含め、一度失ってしまうとその技術は二度と再現することはできない。ヨーロッパにもない技術であり、売り方を変えれば可能性があるのではと思い、会社と設備、技術者を引き受けた」。
技術を持ちながら売り方で詰んでいく会社を、自分たちが通ってきた道だと知っているからこその判断でしょう。
由紀精密 客を替える
神奈川県茅ヶ崎市。由紀精密は、もとは「大坪螺子製作所」という名前のネジ屋でした。創業は1950年です。
三代目の大坪正人氏が入社したのは2006年。東京大学大学院を修了し、インクスを経ての入社でした。当時の同社は、公衆電話などの電機部品が売上の9割を占める構成。従業員30人、沈みかけた町工場でした。
大坪氏が取った道は、自社ブランドでも独自素材でもありませんでした。客を替えることでした。
価格で選ばれる市場にいる限り、安いほうへ流れる力には逆らえません。ならば、価格以外の基準で選ばれる市場に移る。
同社が狙ったのは、航空宇宙と医療でした。数ミクロンの誤差が事故につながる航空宇宙分野は最高レベルの精密性が要求され、人体に害の少ないチタンなどは加工が非常に難しい素材です。難しいほど、安さでは選ばれません。
転機は2008年の航空宇宙産業展でした。出展によってJAXAのテストパーツを受注できたことが、業界参入の第一歩になります。その後、人工衛星を製造するベンチャー企業アクセルスペースからの1通のメールが、超小型衛星の構造部品を1機分丸ごと製造するきっかけとなりました。
このとき持ち込んだのが、技術力が一目でわかる複雑な加工サンプルでした。カタログでも価格表でもなく、見れば分かる現物。
下請けの立場では決して外に出ることのなかった技術を、見える形にして持ち出したわけです。
同社はこの発想を、その後も繰り返しています。「コマ大戦」が生まれるきっかけとなった精密ゴマ、独立時計師の浅岡肇氏らと取り組んだ高級腕時計、CNC微細加工機の共同開発など、研究開発型町工場としてユニークな製品を次々と生み出してきました。近年はゼロから設計したレコードプレーヤーも手がけ、価格は200万円。「やるからには本業と同等の新たな事業軸として育てていきたい」と大坪氏は語ります。
営業担当はゼロです。Web経由の問い合わせから航空機部品の案件を受注したこともあります。
技術を見せ続けていれば、必要な人が見つけてくれる。
売上構成は、電機部品9割から、航空・宇宙・医療で5割を占めるまでに変わりました。2017年には由紀ホールディングスを創業し、同じ境遇にある中小製造業をグループとして束ねる取り組みにも広げています。
三社に共通していたこと
抜け方は三者三様でした。ヤマチクは川下に出て自社ブランドを持ち、佐藤繊維は川上に残ったまま指名される存在になり、由紀精密は客層そのものを替えた。
それでも、共通する構造がありました。
ひとつめは、降りたのは取引からではなく、依存からだということです。
ヤマチクはいまもOEMを続けていますし、むしろ自社ブランドを見た新規の引き合いが増えました。佐藤繊維もOEM製造を事業の一部として持ち続けています。下請けをやめることが目的ではありません。一社に生殺与奪を握られている状態から抜けることが目的です。
ふたつめは、技術を外から見える形にしたことです。
ヤマチクは自社ブランドとファクトリーショップで、佐藤繊維は他にない糸そのもので、由紀精密は加工サンプルとWebで、自分たちの技術を可視化しました。下請けの構造では、技術は発注元の製品の内側に隠れます。隠れている限り、指名のしようがありません。見せることは営業活動である以前に、値決めの前提条件です。
みっつめは、三社とも後継者が外を経験してから戻っていることです。
山崎氏は大阪でシステムエンジニアとして、佐藤氏は東京でアパレルメーカーで、大坪氏は大学院とエンジニアリング企業で。内側にいるだけでは、「言われた値段でつくるのが当たり前」という前提そのものが見えません。外の目が、当たり前を壊しています。
SDGsの観点では、三社とも8番「働きがいも経済成長も」の中核にいます。適正な値決めができなければ、働く人の賃金は上がらないからです。ヤマチクが竹の仕入れ価格を上げようとしているのは、12番「つくる責任 つかう責任」をサプライチェーンの上流まで遡って引き受ける行為でもありますし、由紀精密や佐藤繊維の技術継承の取り組みは9番「産業と技術革新の基盤をつくろう」に重なります。
ただ、番号を当てはめることよりも大事なことがあります。
適正な価格で取引されない産業は、持続しません。値決めの話は、サステナビリティの話そのものなのです。
私たちは何を持ち帰るか
三社の規模も業種も違いますが、明日からできることが三つあります。
ひとつめは、売上を顧客別に並べて、一社依存度を数字で見ること。
感覚では「あそこが大きい」と分かっていても、実数で見ると想像と違うことがよくあります。危機感は、数字になってはじめて共有できます。
ふたつめは、「うちでなければできないこと」を一文で言ってみること。
言えないとしたら、それは技術がないのではなく、言語化していないだけかもしれません。三社とも、まずここから始めています。
みっつめは、外から来た人の違和感を記録しておくこと。
新入社員でも、取引先でも、見学に来た人でも構いません。内側の人間には見えない当たり前を、外の目は必ず指摘します。その違和感こそが、次の一手の入り口です。
下請けから抜け出すことは、取引先を切ることではありません。
自分たちの仕事に、自分たちで値段をつけられるようになることです。
次号もどうぞお楽しみに。
《参考》
株式会社ヤマチク https://www.hashi.co.jp/
佐藤繊維株式会社 https://satoseni.com/
株式会社由紀精密 https://www.yukiseimitsu.co.jp/
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《筆者プロフィール》
SDGs/ご当地グルメ/旅行が好きです。その好きなことで仕事をしながら、各地域を盛り上げる中小企業やフリーランスの方々を後押しする活動をしています。








